美容師見習いを辞めて、。

那古野神社の南数メートルの貸し事務所的所のセールスをしていたこともあるのです。

教科研究社と言う名前の会社でした。マイクロバスに乗って目的地まで行き、NHKのみんなの歌のレコードとか何だかを販売する仕事でした。初めて私がレコードか何かを売った人物が子供達の父となった人なのです。近鉄線黄金駅の近くで働き住んで居たのでした。

 

麒麟がくる(8)の直ぐアトに放送する枠で那古野神社が登場した。信長の父が其の場所▪那古野城主だったのです。マァ、先程も平手さんが登場した。名古屋市西部医療センターの近くに信長の教育係りの平手さんが住んでござったのです。その辺の地名が平手ナノです。

三男孫兄弟と其の母▪私の三女とで遊んだ公園が平手教育係りさんのお屋敷だったのです。父の一番下の妹の一人だけの娘は、其の公園の辺に住んで居たのでした。叔母には他に男の子が三人いたのです。マァ、私は其の叔母の親族とは蜜な親戚付き合いをしていなかったのでした。

何等かのご縁が重なるのを思い出させて貰える大河ドラマ麒麟がくる(8)でした。