30年は過ぎたのです

可児市に先祖のお墓を造ったのは私の決意からでした。もと居住地の直ぐ側の寺院に何故かお墓の掃除やお参りは私しかしない家でした。遡ると天明二年に亡くなった庄助さんの戒名は過去帳の最初のページに記されていました。石塔とかお地蔵様等も在った。花筒が10本在ったのです。そうした前に花筒が10本在ったのでした。

 

天明年間には大勢の幼児が亡くなっていました。過去帳に記されていました。

 

私の父母はお墓参りや仏壇参りも殆どしないのでした。

 

18才で創価学会に入信したのは自然な成り行きでした。

 

日本人のおなまえで可児市が写った。先程からテレビを点けながら此の文章を綴っています。

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↑此の二枚は先程写しました。左上奥歯の最奥はモウ白いカビ状のモノは無くなってから数年経つ感じです。