午後は外出

此処に、正確に記述は憚らねばならない気持ちの私です。

母の戒名は無しで葬式をした。父の死後其の場所に何度も足を運んでいた。マァ車を止めたので、市営バスで行くには、程良い距離ナノです。昭和57年5月に其所を訪れているのです。

 

其の頃は生家の傍の先祖代々の寺院内の墓所に出入りしていた。その後其の寺院を離れて、可児市に墓地を買った。宗旨宗派を問わない墓地を見付けて先祖の墓地とした。異母姉が祖父母の墓参りに頻繁に訪れていた。京都の親戚も加島の親戚も平塚の親戚も墓参していたと思う私でした。異母姉に訳を説明して京都の親戚には手紙で報告した。ソシテ200年以上のご縁の寺院の僧侶にも説明した。その頃、私は離婚していた。34才を過ぎていた感じです。古い仏壇の中に先祖の過去帳があった。その頃の元号や月日が私の当時の職業の記憶とマッチしない。何故かピッタり合わないのです。

 

私が生存している只今現在にキチンとしておきたいのです。

其の先の如何は自然に委せるだけです。