異母姉

異母姉は私と14才違う。16才違いの異母兄は6才で死んだ。父が戦地に行っている時にバヒュウで一晩で死んだ。

昭和区の施設でも異母姉や異母兄と同年代の二人の方とテーブルを囲んで食事していました。其のテーブルには母と同年代の枇杷島とご縁がアル女性も居られました。

 二親等の間柄の両親の間に生まれた方でした。私と同様の出生の生涯独身の方です。

ご自分から初対面の私に話されたのでした。

大金を出し調査せずとも、其のような事が現実に私の周りに起きたのでした。

 

私は父と母との間に生まれて、与えられた役目を果たしたい思いで生きて来ました。7億円、子供達の父の負債を処理し、父も母も臨終迄看取り、子供達の父とも電話しあえる関係を築けました。

18才で創価学会に入り自分の人生を歩んできました。

 

私の業の塊の身体も自分の編み出した口中の手入れで背骨の廻りの神経も変えれた感じになってきました。